世界一周クルーズの先駆け!?
1860年代に世界をめぐった客船の航跡が
現代クルーズ界に問いかけるもの
【クルーズ業界の歴史シリーズ:クルーズ応援談】第4回

●壮大な航海、現代クルーズと通じる寄港地観光

 

ニューヨークを出たクエーカーシティは途中、アゾレス諸島のサンミゲル島に立ち寄り大西洋を横断。その後、ジブラルタル、マルセイユ、ジェノバ、リボルノ、チビタベキアへと地中海の旅へ。船はエーゲ海のピレウスからマルマラ海、ダーダネルス海峡を越え、コンスタンチノープル(現イスタンブール)に寄港。さらに一行はボスポラス海峡を抜けてオデーサ、ヤルタへ。黒海を周遊した後、同船はコンスタンチノープルを経由して南下を開始。トルコのスミルナ、ベイルート、アレキサンドリアへ進んだ。そして、巡礼の旅は再びジブラルタル、モロッコのタンジールを経て大西洋を横断、ニューヨークに帰港した。

 

彼らの寄港地での移動距離は長大で広範に及んだ。たとえばーーマルセイユでは巌窟王ゆかりのイフ島を訪ねた後、パリへ列車で向かい、博覧会やノートルダム寺院、ルーブル美術館、ベルサイユ宮殿、ブローニュの森などを探訪。ジェノバからは陸路、ミラノ、アルプスを望むコモ湖、ベネチア、フィレンツェ、ピサ、リボルノへと列車で移動した。ベネチアではサンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿のため息橋、リアルト橋などを見物し、ゴンドラを楽しんだ。

コンスタンティノープルと言われたトルコの首都イスタンブール。アヤソフィアは帝国の最高傑作と言われる建築物
現代のジブラルタルの様子。建物は違えど、特徴的な地形は、かつてマーク・トウェイン達も目にしたのではないだろうか

フィレンツェではピッティ宮殿やウフィッツィ美術館で無数の絵画、彫刻を見て、「ラファエロ、ミケランジェロ、マキャベリの墓の前で涙した」。ピサでは斜塔にも登った。一行がリボルノに停泊中のクエーカーシティに合流した後、船はローマの外港チビタベキアへ。ローマではサンピエトロ寺院やコロッセウムなどを見学。

 

トウェインらは列車でナポリへ足をのばした。ベスビオ登山に挑戦し、ポンペイ遺跡も歩いた。ナポリ湾に停泊していた船に合流した彼らはその後、スミルナに立ち寄りエフェソス観光へ。ハイライトのベイルートからは陸路ダマスカス、エルサレム、ベツレヘムへ。アレキサンドリア寄港の際にはピラミッドやスフィンクスを見にカイロへ出掛けた。帰途のジブラルタルではセルビア、コルドバ、カディスで7日間の休息を得た。

 

紀元前からあるピラミッド。おそらくマーク・トウェインが目にしたものと大きな差はなさそう
イスラエルのエルサレム。古くから現代まで、世界随一の聖地として知られる
ローマにあるコロッセオ。こちらもマーク・トウェインが目にしたものと、同様だろう

 

クエーカーシティの寄港地やトウェインらが訪れた寺院、遺跡、都市、街の多くが、現代のクルーズにも重なるのは興味深い。今ではクルーズ港として知られる港ばかりで、行ったことがある、行ってみたいと思う人も少なくないだろう。

 

オーバーランドツアー(数日の移動と宿泊を伴うショアエクスカーション)の形で展開していく寄港地観光のスタイルは、世界一周クルーズなどのロングクルーズに少し通じるところがある。パリに長らく滞在したり、アルプスの麓で宿泊したり、登山や砂漠にまで出かけて行く彼らの発想は、現代のクルーズで内陸奥深くのビクトリア湖やイグアスの滝を見物しに行ったり、南極を目指したりする感覚に近いものがある。

オーバーランド・ツアーに組み込まれていることもあるイグアスの滝
現代ではレジャー・クルーズで行けるようになった南極

●パリ博覧会にあわせた「イベントクルーズ」

 

リオのカーニバル、F1モナコグランプリ、日本なら夏祭りや花火大会にクルーズ客船がやって来るように、イベント開催に合わせてパリに寄港したアイデアも見逃せない。大西洋横断は定期航路客船が主役だったときに、クエーカーシティが150日以上のいわば物見遊山の大航海に出たのは、かなり時代の先を行っていたと言えそうだ。

 

1990年代はカリブ海、アラスカ、地中海、北欧などに多くのクルーズ港が集中していたが、クルーズマーケットの拡大に伴い、船社はクルーズ港の開拓に取り組んできた。今ではアジア、オセアニア、南米、アフリカ、南極、北極へと広がり、その数は大小1200港以上あるといわれる。寄港地観光ツアーの行き先、コース、アクティビティも膨大だ。

 

クルーズ港には観光を目的にした寄港地(トランジットポートのこと。中には乗客の入れ替えが可能な寄港地もある)と母港(ターンアラウンドポートまたはハブポート、ホームポートと呼ばれる。各クルーズの始まりと終わりに乗客を入れ替える港)に大きく分けられるが、チビタベッキア、ジェノバ、ピレウスのような母港の増加も近年著しい。

 

カリブ海クルーズのマイアミ、ポートエバーグレース、ポートカナベラル、世界一周クルーズのニューヨーク、サウサンプトン、アラスカクルーズのバンクーバー、シアトル、メキシコクルーズのロサンゼルス、エーゲ海クルーズのむピレウスなどがクルーズの母港として古くから有名だが、現在、北米だけ見ても母港は20カ所以上に拡大している。

世界のクルーズの中心地、マイアミ港。常に大型船が複数停泊している
アラスカクルーズの拠点であるバンクーバー港。夏には多くの客船が入る

●母港の拡大はマーケットの成長とドライブ&クルーズの発達

 

米国のクルーズマーケットが成長し続け、従来の母港だけでは吸収しきれなくなったことが背景にあるが、もう一つの要因として2001年の米国同時多発テロがあった。この事件をきっかけにマーケットは航空機での移動を敬遠し、マイカーでのアクセス需要が高まった。ソースマーケットごとに母港を設置し、フライ&クルーズを補完するドライブ&クルーズでの集客を促進した。その先陣を切ったのはカーニバル・クルーズ・ラインで、他社も追随して母港の開拓に乗り出した。

 

ヨーロッパ、アジアもクルーズ人口の急速な増加とともに、各国に母港が次々と開設された。クルーズ船社にとって母港と寄港地の開拓は、新たなコースと日数の豊富化を促し、新規顧客の獲得に寄与している。外国クルーズ船社が横浜港をホームポートに、定常的な日本発着クルーズを展開するようになり(コロナ禍で今は中止しているが)、日本でも着実に大衆クルーズが育ってきたことは、庶民からすればなんとも喜ばしい限りである。復活の時は近いだろう。

 

ただ、マンネリはつまらない。クエーカーシティの航跡を現代のクルーズにそっくり投影するのはいささか無理があるが、知的好奇心と冒険心に火をつけてくれる刺激的なクルーズ企画に期待したいものだ。

参考資料
・「イノセント・アブロード 聖地巡礼の旅」マーク・トウェイン著/勝浦吉雄・勝浦寿美訳 文化書房博文社発行

https://www.whatsinport.com/
https://cruising.org/en/
https://www.ibiblio.org/hyperwar/OnlineLibrary/photos/sh-usn/usnsh-q/quakr-cy.htm

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