海上の“もうひとつの社会”ピースボートの威風堂々<後編>

さあ、いよいよブラジルへ。この船旅のハイライトは、先のクスコ・マチュピチュ遺跡と並んで、リオデジャネイロのカーニバルだ。カヤオ(ペルー)では3泊、リオデジャネイロは2泊と、寄港時間を長くとっているのがその証左。そのブラジル、まずはサントスに寄港。ここから、日帰りで往復可能な大都市・サンパウロにある世界最大の日本人町を訪問。本国と変わらぬ懐かしい味に舌鼓を打つ。




リオデジャネイロは、すでにカーニバルの熱狂の中に在った。世界的に有名なのは、全国の選りすぐられたサンバチームがコンテスト形式で競う、スタジアムでの、いわば頂上決戦で、記者を含めた乗船客の多勢も、これがお目当てだ。しかしながら、リオデジャネイロ市中のあらゆる場所で、さまざまなサンバチームが練り歩いており、夜半から開催されるコンテストを待たずに、街を歩いているだけで、興奮の坩堝に叩き込まれてしまう。
記者は現地に宿を取り、朝方まで続くカーニバルやそれに合わせて行われているレイブパーティや終夜営業しているさまざまな屋台や飲食店の間を彷徨い歩き、リオのカーニバル、と称されるこの時期のリオデジャネイロの神髄を味わった。まさに、ピースボート体験の白眉ともいえる2泊3日であった。
船は、乗船客が静かに眠りについている間も、休むことなく、進路をとりつづける。パシフィック・ワールドはすでに南太平洋上。様々な思い出をもたらしてくれた南米大陸は遥けき彼方へと去って往く。
2月17日にリオデジャネイロを離岸。南太平洋を9日間かけて横断し、人類発祥の地、アフリカ大陸南西岸に位置するナミビア・ウォルビスベイに着岸したのは2月26日だった。日本在住の人々にとっては、南米大陸同様に遠いディスティネーション、アフリカ大陸。比較的渡航しやすいのは、モロッコやエジプトなど北アフリカに位置する国々となり、サハラ以南の地域は、いまなお、旅慣れた人たちの憧れの地だ。そんなアフリカ大陸、主要観光国の見取り図から少しだけ視点をずらすと多様で興味深いアフリカ大陸の国々が射程に入ってくるのだが、今回、パシフィック・ワールドは、南アフリカの北側に位置するサブサハラの一国、ナミビアを寄港地に選んだ。


ウォルビスベイが1日だけの寄港だったこともあり、記者はここで船を一時離脱し、ナミビアに滞在。その後ケープタウンに飛び、再び陸路で移動した7日後の3月4日、ふたつ先の寄港地、南アフリカ共和国のポートエリザベスで帰船することにした。オプショナルツアー、自ら手配する個人旅行などを自由に組み合わせられるピースボートだが、このように一定の条件を満たせば一時下船し、任意の寄港地で、再度乗船することも可能になっている。船内でできた旅仲間との情報交換などを経て、急速に旅のリテラシーが上がっていく乗船客たちは、快適な船内生活を楽しむだけでは飽き足らず、様々なルートを考案して、もっと世界に触れようと個性あふれる旅を続ける。このパシフィック・ワールドを母船として、世界へと目を向ける乗船客の多さは、ピースボートの面目躍如ともいえる。
このようにピースボートのクルーズは、単にのんびりクルーズ船で移動・観光する(実際にクルーズ船、パシフィック・ワールドを使用し、観光もしっかりできるのでそれだけでも十分魅力的なのだが)というだけではない。自主性・自律性を持った旅を希求する層にとって、世界に数多あるクルーズのどれとも違う、独自の輝きを放っているのである。
「この広大な大陸の何をどれだけ体験できたのだろう」と改めて思うほどに、アフリカ大陸の多様性は底知れない。様々な旅の楽しみ方を、ピースボートへの参加を機に体得しつつある多くの乗客。人々は一様に、後ろ髪を引かれる想いを抱いたことだろう。「アフリカの水を飲んだものはまたアフリカに帰ってくる」とは、巷間囁かれるジンクスだが、乗船客の少なからぬ数が、再びアフリカ大陸を旅することになると、信じられる体験だった。
107日間の旅も終盤に差し掛かろうとしている。残るは、マダガスカル、モーリシャス、シンガポール、台湾の4寄港地である。


3月9日に寄港したマダガスカル・トアマシナは、2026年2月10日~11日に来襲したサイクロン「ゲザニ」により、壊滅的な被害を受けていた。とても観光や交流どころではなかろうという状況の中、「予定通り寄港を」との現地からの強い要請を受け、パシフィック・ワールドは巨体を寄せた。そこでの体験は、観光という視点とは違う、様々なリスクにさらされている世界の一端を垣間見るリアルな旅となった。
そもそも、今回のピースボートクルーズでは南米に向かっている道中で米国によるベネズエラ侵攻(1月3日)が起きた際にも船内で緊急セミナーが行われるなど、激動する世界情勢にも機敏に対応していた。マダガスカルを襲ったサイクロンの被害もまた、ひとつの大きな海でつながっている地球全体の問題として、避けては通らないというピースボートらしい判断だった。


続く、モーリシャスのポートルイス港への距離は550マイル(約880㎞)で、東京と福岡の距離に等しい。3月12日、1日だけの寄港だったが、勢力を増す前の「ゲザニ」の影響も限定的で、いかにも南洋の楽園といった趣だ。インフラも発展しているモーリシャスとマダガスカル、彼我の違いを見せつけられた。ここでは、ハワイ・オアフ島での『ハワイのOKINAWANに会いに行く』交流ツアーに続き、モーリシャスの子どもたちとの交流ツアーに参加。目線を合わせてゲームや手芸を共に楽しめたのも、ピースボートが長年培ってきた現地との関係性があればこそで、個人旅行はもとより、他の旅行会社ではこの交流ツアーは再現が難しいだろう。乗船の折には、ぜひ一度、交流ツアーに参加してみて欲しい。

パシフィック・ワールドはついに、懐かしいアジアへと回航してきた。3月21日にシンガポール、27日は基隆(台湾)にそれぞれ1日のみ寄港。1983年、最初の出航以来しばらくは、ピースボートは主にアジアを巡る船だったので、このエリアはホームグラウンドともいえる。このシンガポールと基隆で、全体の3割を占める中文話者をはじめとした多くの外国籍の乗船客が下船。旅の終わりを迎えつつある船内では、船友たちの交歓がそこここで繰り広げられ、Agora(広場)が生まれる。この107日間、洋上に存在してきた“共和国”だが、華やいだ雰囲気の中に、一抹の寂しさもただよう。
「ピースボートは無くなっては困る船」。
20回以上も地球一周を航海し、世界各地のクルーズにも詳しいベテラン乗船客・遠峰喜代子(とーみん)さんがこう話してくれた。
「超豪華クルーズから貨物船まで、たくさんの船旅を経験してきましたが、観光だけでなく支援や交流などで寄港地と関わり、乗り込んだ若者たちが100日余りの間に、自分が参加することで何かが変わることを学べる、そんなクルーズは他にない。それを見たくて乗り続けているのかもしれません」。
様々な考え方を包摂する多様性と、船を出し続けていくという連続性。さながら二軸スクリューのごとくに、この船は進む力を得ているのだと知る。贅沢を極めた船旅は他にもあろうが、「無くなっては困る」の意は、言い換えれば、年齢も性別も国籍も越えてこの船に集まった乗客だけの、得難い体験ができる、ということだ。

グレートジャーニーや大航海時代以来変わらぬ想い、といってしまっては大げさに過ぎるが、人が大海原へと漕ぎ出す原動力は、未踏の大地に足を降ろしたいという好奇心、他にない経験を求め続けることではなかったか?
ピースボートは、今も愚直に地球を回る。さまざまな人と人とのつながりを”値千金”に換え、未来へと経験を積んでいく船だから。
(後編/了)






