いしかり就航15周年、未来へつなぐ航路
良平さんが絵を描き終えてからおよそ1時間半後の14時46分。あの地震が起きた。
入港盾が5デッキに五つ飾られている。右から大阪、名古屋、そして真ん中に東京。15年前のセレモニーで山田船長に手渡されものだ。その隣は東京から2週間遅れの3月25日付の苫小牧、そして最も左に仙台。そこに日付はない。
あの日、いしかりは津波に襲われた仙台ではなく名古屋へと針路を変えた。直後に予定されていたデビューは延期。その後、いしかりは4月28日に苫小牧~仙台間で運航を開始。仙台港のインフラの問題で最後まで再開が遅れていた仙台→名古屋の運航もめどがつき、6月5日出港便から通常ダイヤでの運航となったのである。
そして今日。いしかりは11時に苫小牧入港。ターミナル3階にある苫小牧ポートミュージアムに足を運んだ。東日本大震災についての展示も行われている。さらに2 018年9月6日の北海道胆振東部地震についても。そこでは地震発生翌日のいしかり入港を皮切りに東北・関東各地からの支援部隊が苫小牧港に上陸したことも触れられている。
良平さんの壁画説明文は、次のように締めくくられている。
「震災によりお亡くなりになられました多くの方々のご冥福と一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。」
この日の14時46分。いしかりでは追悼の汽笛が鳴らされ、乗組員による黙とうが行われた。 19時、再び乗船したいしかりで北海道を離れる。この期間、ラウンジショーは行われていなかったが、ミコノスでは朝昼晩と映画上映が行われていた。
21時から洋上のシネマ鑑賞としゃれこんだ。しかし、ここに来ると、どうしても思い起こすのは15年前のセレモニーの情景である。奇しくも本日の機関長は、15年前に花束を受け取ったその人だった。こうしていしかり15年目の3月11日は更けていった。
3月12日午前6時30分。いしかりは気仙沼の沖にいた。仙台から乗船し、苫小牧で折り返した自分にとっては、宮城県に戻ってきたことになる。案内所で仙台港一時下船の手続きを済ませ、金華山(石巻市)をデッキから眺める。
実は「いしかり」就航後、仙台での一時下船ができない時期がしばらく続いた。停泊中に津波に対する注意報などが発令された場合、船は港外に緊急出港しなければならない。一時下船の乗客は仙台に取り残されるリスクがあるからだ。しかし、乗客からの強い要望もあり2015年3月2日、東日本大震災以降中止していた仙台寄港時の一時下船が復活した。













