【シリーズ:クルーズ応援談】第1回「レジェンド客船が残した伝統と遺産」

【シリーズ:クルーズ応援談】第1回「レジェンド客船が残した伝統と遺産」
CRUISE STORY
クルーズストーリー
2022.07.15
クルーズの世界の過去、現在、そして未来をひもとく「シリーズ:クルーズ応援談」。
記念すべき第一回目は、「豪華客船」の語源ともいえるレジェンド客船を振り返りつつ、
現代の客船に残したものを考察する。
文=小鳥遊海

 

海事資料蒐集家のMさんが近所に越してきたと聞き、お宅にうかがったことがあった。案内された部屋にはMさんが世界中から集めた船に関する本や雑誌、写真集が積み上がり、乗船チケットや荷物タグ、ステッカー、ポスター、パンフレット、絵葉書、新聞、シルバーウェア、絵皿、メニューといったお宝があふれていた。船旅を舞台にした小説や旅行記も丹念に探し出し、初版本を手に入れたという。

 

「ぜひお見せしたいものがあります」。そう言ってMさんが奥の部屋から持ってきたのは山折り状の金属片だった。手にしてみるとかなり重い。真鍮(と思われる)の表面には数字が刻印されていた。「ノルマンディー号の1等ダイニングルームで使われていたテーブルのナンバープレートです。つまらないものですが、これが伝説の日々を見続け、浮かれた大富豪たちのおしゃべりに聞き耳を立てていたと想像すると、なんだか生き証人のように思えてきて」と笑った。

「洋上の宮殿」の異名をとったノルマンディー。
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「洋上の宮殿」の異名をとったノルマンディー。

 
●1935年就航、華やかな社交の場

 

19世紀後半から20世紀前半にかけて、欧州各国から米国への移民拡大を背景に、大西洋横断の定期客船航路は百花繚乱の最盛期を迎えた。英国、ドイツ、フランスは最先端の造船技術と巨費を注ぎ込み、速力、船体サイズ、船内施設の豪華さを競っていた。そんな時代の掉尾を飾ったのが、フレンチラインの「ノルマンディー」(1935年就航)だった。最大最速の「豪華客船」としとて華々しくデビュー。英国キュナード・ラインの「クイーンメリー」とサイズ、スピード記録(ブルーリボン)をめぐり、抜きつ抜かれつの大接戦を繰り広げたことでも知られる。

 

詳細スペックには諸説あるようだが、手元の資料によるとノルマンディーは8万2799総トン、全長313.6メートル、幅36.2メートル、乗客数は1等848人、2等665人、3等458人、乗組員数は1355人で、トータル3326人の乗員乗客を収容した。一流の技師、デザイナー、職人らを世界中から集め、当時流行だったアール・デコ調の船内に仕上げられた。

 

今では防火対策上、使用が厳格に制限されている素材が、船内にはふんだんに使われた。調度品や壁のレリーフ、デッキにはマホガニー、チーク、オーク、メープル、ウオールナットなどの高級木材を使用。シルク、ウール、コットン素材の手織り絨毯やベルベットのカーテンが、華やかな社交界の雰囲気を演出した。当時の「暇と悦楽を楽しむ人たち」の様子は、仏文学者の朝吹登水子氏の随筆からもうかがえる(雑誌「クルーズ」1990年3月号掲載)。

 

●船内は厳然とした階級社会

 

ノルマンディーの船内は階級社会そのままに1等、2等、3等の居住区間(客室および公室)は厳然と分かれていた。1等客室は揺れが少ない船体の中央部、2等客室は船体後部。3等客室は船尾部にあり、巨大なプロペラとシャフトがすぐ下で回っていた。乗組員の区画は船体前部に集中した。公室にはダイニングルーム、複数のラウンジ、バー、シアター、喫煙ラウンジ、プロムナード、理髪店、手術室、診療室、プール、ジム、チャイルドルーム、子供用ダイニングルーム、郵便局、大工店、写真スタジオ、ショップ、花屋、印刷所、屋外テニスコートなど、現代のクルーズ客船につながる主要な施設が用意された。

 

数台の車を積み込めるガレージを備えていたのは、人と貨物を運んでいた古い定期船時代の名残だろうか。カジノについての記載はない。ただ、葉巻の紫煙に包まれたラウンジでは、客同士がギャブルに興じていたことは想像できる。1等乗客だけが利用できた長さ90メートル、3層吹き抜けのダイニングルームは、まさに宮殿を思わせるスケール。正装の乗客たちが一堂に会した光景は壮観だったに違いない。

 

しかし、当時就航していた多くの客船と同様、ノルマンディーも大戦の波にさらわれた。処女航海からわずか4年後の1939年8月が最後の航海となった。ニューヨークにしばらく係留されたが、兵員輸送船へ改装中だった1942年2月に火災事故を起こした。結局、それが致命傷となり、終戦後の1946年にスクラップ処分されてしまった。Mさんによれば、火災前に扉や照明などのパーツをはじめ、調度品、装飾物、備品の多くは持ち出され、今は博物館や個人が所蔵しているという。あのナンバープレートも災難から逃れた歴史遺産の一つということになる。

当時の社交界の象徴でもあった、華やかなダイニングルーム
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当時の社交界の象徴でもあった、華やかなダイニングルーム

 

●「豪華客船」を凌駕したクルーズ客船

 

ノルマンディーがスペックや実績から見て「豪華客船」の一つの到達点だったことに、議論の余地はなさそうだが、それは「大西洋の定期航路華やかなりし時代」という限定付きの評価になるだろう。観光・レジャーのために寄港地をめぐり、船そのものも目的地へと進化させた現代のクルーズ船は、規模や安全性、快適性でノルマンディーをはるかに凌駕している。50年後、現在の最新鋭客船が陳腐化してしまうのは必定だが、それでも私たちが目にしているクルーズ客船は、もはや船とは思えないほどの異次元空間へ変貌した。

 

現在の20万総トンを超える大型客船では、8000人以上の乗客乗員がそこで生活する。いくつものレストラン、カフェ、ラウンジ、バー、シアター、ショップ、プール、ジム、カジノなど数々の施設が、人々の欲求を満たしている。しかも基本的に乗客は客室のクラスに関係なく、それらの施設を自由に利用できる。上流階級だけに豪華な公室を解放していた時代とは決定的に異なる。低廉なクルーズ代金は大衆化を加速させ、一方で料金や目的に応じたマーケットのセグメント化が進み、富裕層をターゲットにした超ラグジュアリー客船や探検クルーズ客船が相次いで就航している。

23万総トンの世界最大客船「ワンダー・オブ・ザ・シーズ」。まるで街がそのまま動いているかのよう
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23万総トンの世界最大客船「ワンダー・オブ・ザ・シーズ」。まるで街がそのまま動いているかのよう

 

続々と登場するユニークなアクティビティ施設は、船自体を目的地化するのに大いに役立っている。巨大なウオータースライダー、サーフィン用のウェーブブール、ゴーカート、ジェットコースター、ボウリング、ゴルフシミュレーター、舷側を上下移動する空中カフェ、アイスバー、ロボットバー、足元までシースルーのプロムナード、スカイダイビングシミュレーター、ロッククライミングウオール、海中をのぞける水中ラウンジ、アイススケートリンク、シルクドソレイユ専用のラウンジ、プロジェクションマッピング用の屋外シアター、海上90メートルから360度のパノラマが楽しめるアーム付き展望カプセル、プラネタリュウム、F1シミュレーター、バーチャルゲームスタジオなどなど。どれも刺激的で世代を超えて楽しめる仕掛けだ。最近は遊覧用のヘリコプターと潜水艇を搭載した船まで現れた。

 

コロナ禍で苦しんできたクルーズ業界はこの間、完全復活に向けて懸命にその準備に取り組んできた。しかし、今度は戦禍が追い討ちとなってしまうのだろうか。一日でも早く平穏な世界にかえり、洋上にも大きな歓声が戻る日を願うばかりだ。

 

展望カプセルを備えた最新客船。最新技術は洋上に多彩な施設をもたらす
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展望カプセルを備えた最新客船。最新技術は洋上に多彩な施設をもたらす

参考資料
・Frank O Braynard 著「PICTURE HISTORY OF THE NORMANDIE」(Original Dover社、1986年発行)
・雑誌「Cruise」1990年3月号(海事プレス社発行)

 

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