「ありがとう、にっぽん丸」
日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡
CRUISE STORY
クルーズストーリー
2026.05.11
「にっぽん丸」が2026年5月10日を持って引退した。
約35年にわたって、日本のクルーズの世界に着実な航跡を残してきた名船・にっぽん丸。
引退セレモニーを取材しながら、さまざまなことが胸にこみあげてきた。
撮影=斉藤美春 文=吉田絵里

2026年5月10日、横浜港大さん橋国際客船ターミナルに、ロイヤルブルーに身を包んだ1隻の船が帰ってきた。

 

午前8時40分頃、横浜市消防局の消防艇「よこはま」が放つ白いアーチをバックに姿を現した「にっぽん丸」を、岸壁で待ちわびていた人々は手を振って迎えた。港からは「おかえりなさい」の声が飛ぶ。そして誰もが知っていた。これが最後の帰港であることを。この日は……にっぽん丸の引退セレモニーの日だ。

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡

にっぽん丸が活躍した約35年。2,000本以上のクルーズ、国内外400以上の港への寄港、60万人以上の乗客、総航行距離533万キロメートル――地球をおよそ133周した計算になる。数字が語るのはにっぽん丸が積み重ねた膨大な時間と、その時間を船上で過ごした人々の記憶だ。

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡

■「クルーズ元年」を彩った新造船

 

3代目にっぽん丸は、三菱重工業神戸造船所で建造され、1990年9月に就航した。全長166.6メートル、全幅24メートル、総トン数22,472トン。進水式では紀宮清子内親王(当時)が支綱切断を行い、日本を代表する客船にふさわしい船出となった。

 

1989年に「ふじ丸」が就航してマスコミが「クルーズ元年」と呼んだ翌年のことである。「にっぽん丸」は日本のレジャークルーズへの流れを決定づけた。バブル景気の余韻が漂い、日本人が豊かさを謳歌しようとしていた時代。にっぽん丸はその時代の空気を船上に吸い込んで、海原へと出ていった。

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■「コンパクトな船体」という個性

 

にっぽん丸の大きな特徴のひとつは、その船体の大きさにある。世界規模で大型化が進むクルーズ産業にあって、にっぽん丸はそのサイズを守り続けた。コンパクトな船体を生かし大小さまざまな港に寄港し、船内では各地の特産品を使用した料理の提供や地域の人々とともに作り上げるイベントの開催に取り組んできた。寄港地の自治体や観光協会をはじめ地元の人々から多大なる支援を受けたからこそ、多彩なクルーズを実施できたのだろう。

 

「美食の船」として知られたにっぽん丸は、単に料理がおいしいというだけでなく、その土地の食材を丁寧に仕入れ、その土地の味を船上に再現することにも誇りをもっていた。

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡
撮影=君島有紀

■「にっぽん丸」を取材し続けた35年

 

本誌『CRUISE』は、就航以来にっぽん丸を毎号のように取材し続けてきた。寄港地レポートから船内グルメ、乗客インタビューまで、にっぽん丸は誌面の中心にいつも存在してきたといっても過言ではない。

 

中でも、取材するたびに目を見開かせられたのが、にっぽん丸ならではのテーマクルーズの豊かさだ。ミュージカル歌手を招き、本格的な公演を洋上で楽しむ「ミュージカルクルーズ」。ワイン生産者を招き、各種ワインの飲み比べができて乗客皆がごきげんになった「ワインクルーズ」。ワンナイトながら、計34種4000個ものパンが用意された「にっぽん丸パンまつり」なる企画クルーズもあった。

 

3年に一度の現代アートの祭典・瀬戸内国際芸術祭の会期に合わせ、直島や豊島の島々を船でめぐりながら、芸術祭総合ディレクターの北川フラム氏による船内レクチャーまで組み込んだ「瀬戸内国際芸術祭クルーズ」。女性客を主役に据えた「Oasisにっぽん丸」、飛行機で北海道や沖縄に飛んでから船旅を楽しむ「飛んでクルーズ」シリーズ……。その企画力と守備範囲の広さに毎度驚かされた。

特に印象深いのは、地元の人々を巻き込む力だ。祭りの際には地元の踊り手や演奏者が乗船し、寄港地では地域と連携したイベントが船上・岸壁の双方で繰り広げられる。単に「港に寄る」のではなく、地域と一体となってクルーズを盛り立てていく――そのスタイルはにっぽん丸の独自性の核だった。

 

そして取材を重ねるなかで気づかされたのは、そうした企画を支えていたのが、クルー全員の一体感だということだ。お祭りにかかるクルーズでは、クルーが「お祭りオペレーション」と呼んで誇りをもって取り組む姿が見られた。野外コンサートが行われるクルーズで雨が降ったとき、クルーたちはレインコートを配り、乗客のイスについた水滴をふき、それでも演奏が続けられるよう舞台を整えた(「にっぽん丸が魅せた雨の「プレミアム」な船旅)。乗客のために船全体が動く、その空気がにっぽん丸にはあった。

■9回の世界一周と、数々の名航海

 

その航跡にはロングクルーズも欠かせない。「世界一周クルーズ」は通算9回を数え、「ハワイ・カリブ・アラスカ」など長期クルーズも人気を博した。

 

2022年12月には、横浜港から「モーリシャスプレシャスクルーズ」に旅立った。これは単にロングクルーズというだけでなく、クルーズ業界がコロナ禍の影響を多大に受けた中、実に2年10カ月ぶりの国際クルーズの再開第一号だった。先人を切ったにっぽん丸が、無事に国際クルーズに出航し、さらに帰港したことは、クルーズを愛する人々の中ににっぽん丸をさらに大きく印象付けた。しかもこのクルーズは、社会貢献の側面も持っていた。

 

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にっぽん丸は政府が主催する国際青年交流事業「東南アジア青年の船」や「世界青年の船」にも長年使用され、国際的な舞台でも活躍した。

■引退を前に、全国から届いた言葉

 

引退が発表された2025年6月から、にっぽん丸をめぐる動きは加速した。2026年2月以降のクルーズには特別イベントや記念ディナーが組み込まれ、「グランド・フィナーレ」として12航海が企画された。神戸港では最終航海の出港セレモニーが開かれ、横浜港では引退の約1カ月前から「フェアウェルプロジェクト」が始動。大さん橋や横浜ハンマーヘッドで写真展が開催され、市民がメッセージを書き込んだブックは最終的に17冊にのぼった。

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡

5月10日のセレモニーで登壇した内田幸一船長はこう語った。「引退を発表してから、各地の発着地・寄港地で、さまざまな方から『ありがとう』『さようなら』『お帰りなさい』と温かい言葉をいただきました。全国各地でにっぽん丸は皆様の心の中でまだまだ走り続けている――そう実感いたしました」。そして会場に集まった人々に向けて、こう呼びかけた。「全員でいいましょう。お疲れ様、にっぽん丸。忘れないよ、にっぽん丸。ありがとう、にっぽん丸」。

 

横浜市港湾局の新保康裕局長も「後ろに停泊している三井オーシャンフジ、そして今後就航する三井オーシャンサクラへとにっぽん丸が築いた伝統と精神が受け継がれ、さらに発展していくことを大いに期待している」と述べた。セレモニーの締めくくりは、横浜市立港中学校吹奏楽部による「夏色」の演奏。その音楽の中で、にっぽん丸は大さん橋に静かに佇んでいた。

「ありがとう、にっぽん丸」 日本のクルーズ文化を育てた35年の航跡

■航跡は、次の世代へ

 

商船三井クルーズは2023年10月に新たなクルーズブランド「MITSUI OCEAN CRUISES」を発表。その第一弾として三井オーシャンフジを2024年12月に就航させ、にっぽん丸との2隻体制で運航してきた。にっぽん丸の引退後は一時的に1隻体制となるが、2026年9月19日には第二弾の「MITSUI OCEAN SAKURA(三井オーシャンサクラ)」が就航し、再び2隻体制に戻る。三井オーシャンサクラは、にっぽん丸が足を踏み入れた小さな港や離島への寄港を引き継ぐ予定だという。おもてなしの心は、確かに次の世代へと手渡される。

 

本誌6月27日発売号では、にっぽん丸の35年の軌跡を詳細に振り返る特集記事を掲載予定だ。数々の名クルーズの記録、乗客たちの思い出、そして時代とともに変化してきたクルーズ文化の歩みを、写真とともにたどる。お疲れ様、にっぽん丸。35年間に積み重ねられた60万人の記憶は、どこへも消えない。

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