海上の“もうひとつの社会”ピースボートの威風堂々<後編>

夏から秋の出航はスエズ運河、パナマ運河を通る王道の世界一周(スエズ運河は政情不安等の理由で通過せず、
喜望峰周りに変更されることもある)。冬は、主に南半球へ向かい、南太平洋・南米・アフリカなどを訪問するルートだ。
それぞれに特徴のある航海となるが、今回、記者が107日間フル乗船したのは、南半球周りのvoyage122だった。
13カ国、19寄港地に及ぶ異国体験は、訪問経験のある場所も含めて、常に新鮮なアプローチで、
ピースボートのクルーズで訪問する意味をしっかりと感じ取れた。
2025年12月14日に神戸港、翌15日に横浜港で、乗船客1950名がチェックイン。巨艦「パシフィック・ワールド」は、滑るように横浜港・大さん橋から離岸、ベイブリッジをくぐり抜け、地球一周の大航海へと出帆した。

最初の寄港地はハワイ(アメリカ合州国)。かつて、「憧れのハワイ航路」(1948年)と歌われた、日本人の夢を掻き立てたルートだ。歌がヒットした当時に就航していた氷川丸などの横浜からホノルルまでの航海日数は6~8日程度。パシフィック・ワールドは9日間かけている。現代のほうが船足を緩めているのは、スケジュールやコスト、快適性などの理由もあろう。ただ、日数をかけたぶん、「さあ、ハワイだ!」という期待感が船内に横溢していくのがよくわかる。
12月24日午前中にホノルルに入港、12月26日夜に出航という余裕のあるスケジュールで、多くの乗客になじあるハワイということもあり、乗船客はさまざまなスタイルで、オアフ島を楽しんでいた。


現地での行動パターンだが、基本的には旅行企画を実施しているジャパングレイスが事前に用意しているオプショナルツアーに参加するか、乗船客自身の自由行動を選ぶかに大別される。オプショナルツアーには、寄港地ごとの特徴を踏まえた多彩なメニューが並ぶが、ピースボートらしい交流ツアーが、多くの寄港地で設定されている。これは、一般的な観光ツアーとは違い、テーマを持って現地の住人との交流を行うもので、記者はまず「ハワイのOKINAWANに会いに行く」交流ツアーに参加した。



このツアーは日系移民、とりわけ、多くの移民を送り出した沖縄系移民との交流を通して、様々な国からの移民で成り立つハワイ(アメリカ合州国)の実相を学べるもの。ハワイは、日系のみならず各国からの移民が多く、多様な文化がミックスして、今のハワイを形作っている。その過程では、差別や貧困をはじめとした様々な問題もあったことを踏まえながら、今を生きる沖縄系アメリカ人たちとランチを囲み、クラフトに興じ、カチャーシーで盛り上がる。初寄港地のハワイで沖縄体験、とは意外に思えるが、この後の旅程で繰り返し目の当たりにすることになる、世界の多様性と連続性を、初寄港地のツアーで実体験したのは幸運だった。


1月2日午前中、パペーテ(仏領ポリネシア)に入港。ここ、タヒチでの滞在時間は0泊1日、即日の離岸となるので、何を見るのか、アクティビティは、など、スケジュール管理が難しい。入港前には船内で寄港地紹介企画が行われるので基礎知識はインプットされるし、オプショナルツアーを選べば苦労なくエッセンスを味わうことができる。自由行動派は、帰船時間を意識しながら、三々五々、散っていった。


ちなみに、どの寄港地でも、帰船時間は厳しく管理されている。乗船客側も時間管理は必須で、慣れない旅先での時間配分は、多くの人を悩ますファクターではある。出航後半月を経て、船内の友人(船友)を得てからの様々な情報交換は、その点でも重要だ。限られた時間で効率よく動ける方法など、過去にタヒチを訪問した乗船客のアドバイスなども、旅先での体験値を豊かなものにする。








