クルーズポートを歩く

東京よりも台湾や上海、そして釜山が近い。沖縄はまさに東アジアの中心に位置する。
その海の玄関口が那覇港だ。歴史上、幾多の苦難を乗り越えてきた沖縄。
今年、那覇港は「アジアの十字路」復活への第一歩を踏み出す。

文=カナマルトモヨシ
【クルーズポートを歩く】第6回 那覇港
イラスト=岩崎絵美

第5回 小樽港

よみがえるアジアの十字路

船が那覇港に入っていく。防波堤に文字が見えた。そこにはこうあった。「アジアの十字路 那覇港」と。

 

下船し、首里城公園へ。1 4 2 9年に琉球王国が成立し、ここに都が置かれた。当時の那覇は、ふたつの川の入江に散在する浮島と呼ばれる島々で構成されていた。明朝(中国)からの使者は浮島に上陸し、遠浅の海を渡って首里へと向かわねばならなかった。

 

これを不便に思った尚金福王は1452年、明人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1キロほどの堤道を造らせ、本島と結んだ。首里への陸路が整備されたことで、那覇の発展は始まる。

 

那覇中心街に近い久米に来た。かつてこの一帯は浮島だった。その一角に、14世紀後半から明の福建省などから渡来した人々が住み着き、やがて「クニンダ」という集落を形成した。クニンダの人々は、明への進貢貿易やシャム(現在のタイ)やマラッカなど東南アジア諸国との交易における外交文書の作成や通訳、航海の案内、造船などに従事した。

 

彼らの活躍もあり、15〜16世紀の大交易時代で琉球王国は繁栄。「唐、南蛮寄り合う那覇泊」とうたわれた那覇は、海外貿易の窓口としてにぎわいを見せた。

しかし那覇にも時代の荒波が。1853年、米国のペリー率いる黒船が来航。翌年にはその圧力で那覇は開港する。さらに、明治新政府が1879年に琉球処分を断行し、沖縄県を設置。琉球王国は崩壊し、その独立も失われた。

 

島だった那覇は琉球王国末期には土砂の堆積で本島につながり、次第に海が埋め立てられ現在のように完全に地続きとなった。県庁所在地となった那覇は、物資集積地や商業都市として繁栄する。

 

だが、戦雲が沖縄を覆う。1 944年10月10日、米軍の空襲で那覇港は使用不能に。翌年の沖縄戦で市街地は完全に破壊された。戦後の1954年、那覇港は当時の琉球政府に返還された。ただし、一部は米軍那覇軍港(那覇港湾施設)のままとされた。

 

沖縄の復興が進むと現在の新港開発が計画され、1971年に完成。その翌年、沖縄は日本に復帰した。安謝(あじゃ)新港には東京や大阪と那覇、さらに台湾までを結ぶ貨客船が2010年代まで出入港した。

最後に那覇クルーズターミナルへ。2010年代に入ると、那覇港に来航する海外クルーズ客船が急増。これに対応するべく建設された新ターミナルは2014年4月1日に開業した。以後、おもに中国や台湾からのクルーズ客船が連日入港。また、日本船の寄港も増えた。まさに「アジアの十字路 那覇港」というにぎわいだった。

 

2020年、活況は突然消えた。コロナ禍により、海外クルーズ客船の来航がぱったり途絶えたのだ。しかし今年、あの活気が再び戻ってくる。「にっぽん丸」の「飛んでクルーズ沖縄」も4年ぶりに復活する。さまざまな国籍の船や乗客でにぎわう那覇港。そんな風景が見られる日も間近だ。

 

【クルーズポートを歩く】第6回 那覇港
【アクセス】
【アクセス】 那覇クルーズターミナル
那覇空港からタクシーで10分
沖縄都市モノレール(ゆいれーる)那覇空港駅から県庁前駅まで13分
県庁前駅から徒歩15分
【クルーズポートを歩く】第6回 那覇港
復元進む古都で伝統の技を見学
首里城公園

2019年10月末の火災で、首里城正殿などが焼失した。だが昨年9月26日、復元用の木材倉庫・加工場と、実物大の図面を描く原寸場が完成。見学エリアでは、復元を支える職人たちの伝統の技を見ることができる。また、ここからは首里や那覇が一望できる。今しか見られない風景だ。
写真クレジット:©OCVB

【クルーズポートを歩く】第6回 那覇港
悲劇を今に伝う港近くの記念館
対馬丸記念館

太平洋戦争末期の1944年8月22日。沖縄から疎開する学童らを乗せた「対馬丸」が、米軍潜水艦の攻撃を受け沈没。800人近くの子供を含む多くの犠牲者が出た。この悲劇を後世に伝えるため、事件60年後の2004年8月22日に開館した。那覇クルーズターミナルから徒歩でも行ける。
写真クレジット:©OCVB

【クルーズポートを歩く】第6回 那覇港
楽しんで学ぼう琉球王国の繁栄
クニンダテラス歴史展示室

琉球王国の大交易時代を支えたクニンダ。集落があった久米にレストランなどを併設した複合施設「クニンダテラス」が2016年にオープンした。入場無料の歴史展示室ではタッチパネル式のデジタルサイネージやすごろく、クイズラリーなどでクニンダについて学ぶことができる。

カナマルトモヨシ
日本および世界各地の港町をクルーズ客船やフェリーで訪ね歩く航海作家。本誌では『世界の港町、歴史海道をゆく』を49回にわたり連載。臨時増刊『にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド』の制作にも関わる。
関連記事
TOPへ戻る
シェアアイコン