クルーズポートを歩く
しかしいまや、尾張名古屋はクルーズポートで持つ時代に。
実は江戸時代から港で持ってきた歴史を有する城下町・名古屋。
その知られざる歩みをたどる。
文=カナマルトモヨシ
第3回 名古屋港
愛知という県名。それは現在の名古屋市南部から知多半島にかけてかつて広がっていた干潟「あゆち潟」に由来する。織田信長もここで釣りをしていたという。まずは、あゆち潟に面していた七里の渡し跡にある「宮の渡し公園」から歩き始めたい。
徳川家康が江戸幕府を開いた17世紀初頭、その一帯は熱田湊と呼ばれていた。家康は洪水の影響を受けにくい熱田を交易港とし、1610年に堀川を開削した。熱田港と城下町は堀川で結ばれ、米・塩・木材などの物資が舟で運びこまれた。こうして「尾張名古屋は城で持つ」とうたわれるほどに発展を遂げる。
同時に熱田港もにぎわいをみせた。東海道の宿場町・宮宿(熱田宿)は熱田神宮の門前町という特性に加え、次の桑名宿までの七里(約28キロ)を3〜4時間で結んだ七里の渡しの船着き場があった。この航路では、大名が乗る御座船から一般庶民が乗る帆掛け船まで多種多様な船が活躍。宮宿は人口1万人を超す東海道最大の宿場町として栄えた。
そのにぎわいも鉄道の開通とともに消え、宮の渡し公園の常夜灯と時の鐘だけが往時の名残をとどめる。
明治時代に大型船が登場すると、遠浅の熱田港は不便な存在となる。そこで1896年、新しい港の建設が始まった。ここで活躍したのが愛知県土木技師の奥田助七郎(1 8 7 3〜1954年)。1906年、奥田はまだ開港していない名古屋に報知新聞社主催による博覧会「ろせった丸」を熱心に誘致した。
ろせった丸はP&Oの豪州定期船「ロセッタ」の後身で、この年には朝日新聞主催で日清日露戦跡めぐりの船旅(横浜発着17泊18日)を実施していた。エンターテイナーとして講談師・手品師・落語家が乗船し、日本史上初のクルーズとも言われる。
ろせった丸は当初、四日市に入港予定だった。それを奥田が強力に誘致したのは、当時根強かった名古屋港工事反対の声をおさえるため。その効果はてきめんだった。1907年、ついに名古屋開港が実現した。
名古屋港は長らく外国貿易港として活用されたが、物流の拠点は次第に南方へ移行。名古屋港発祥のふ頭は再開発され、ガーデンふ頭として生まれ変わった。周辺には南極観測船ふじ、名古屋港ポートビル、名古屋港水族館などの施設が80〜90年代にかけて次々と開館。いまや「名港」と親しまれる観光地となった。同時に日本船の寄港も増加していった。
98年、名港中央大橋・東大橋・西大橋からなる名港トリトンが開通。ところが、これをくぐれないメガシップが海外では続々登場した。そこで着目されたのが90年に完成した金城ふ頭。2010年代には「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」などロイヤル・カリビアン・インターナショナルの巨船たち、そして「ダイヤモンド・プリンセス」といった日本ではおなじみの外国客船も入港した。
それと歩調を合わせるかのように金城ふ頭の周囲にはリニア・鉄道館、メイカーズピア、レゴランドR・ジャパンといった、いまや名古屋観光でははずせない人気施設が登場。
尾張名古屋は城で持つ、はもう昔の話。いま、「尾張名古屋は港でも持つ」時代なのだ。
ガーデンふ頭
名古屋市営地下鉄名港線・終点「名古屋港」駅から徒歩5分/名古屋市営バス「名古屋港」から徒歩10分
金城ふ頭
名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・終点「金城ふ頭」駅から徒歩10分
パナマ運河気分
クルーズ名古屋
金城ふ頭とガーデンふ頭というふたつのクルーズポートを結ぶ路線(トリトンライン)と、金城ふ頭と名古屋駅に近い「ささしまライブ」を結ぶ中川運河ラインで、土日祝休日に限り運航する。中川運河ラインで通過する中川口通船門ではプチ・パナマ運河気分が味わえる。水上からの名古屋の表情は新鮮だ。
金城ふ頭に出現
シーライフ名古屋
2018年にレゴランド®・ジャパン・ホテルに併設してオープンした水族館。館内は異なるテーマの11エリアに分かれ、木曽川をイメージした桜咲く「木曽川」エリアや海の生き物に触れられる「ロックプール」など、さまざまな「見て・さわって・学んで」体験ができる。子供だけでなく、大人も楽しめる水族館だ。©2022 The LEGO Group.
名古屋港を知ろう
名古屋海洋博物館
ガーデンふ頭のシンボル「ポートビル」の3〜4階にある海に関する博物館。3階では港の役割や人々の暮らしとの関わり、名古屋港の歴史などをわかりやすく紹介し、港の臨場感を体験できるシミュレータもある。「南極観測船ふじ」の「南極ドラマチックシアター」では南極の海を実際に渡っている気分に。