●流れ星が盛り上げる夜
この高揚感は中西圭三氏のコンサートへと引き継がれていく。クリスマスのムードやふたご座流星群をイメージしたというステージに、観客は冒頭から引き込まれている。それにしても中西氏の楽曲には国やジャンルを超えた魅力がある。まるで「洋の華やぎと和の落ち着きが調和した」、にっぽん丸のような音楽なのだ。中西氏はかつて洋楽に憧れてアメリカ西海岸に渡ったものの、逆に日本人としてのアイデンティティに気付かされ、今では日本の心を追求する音楽活動も行っているということ。時を経てにっぽん丸で歌うようになったことは、ただの偶然ではなさそうだ。
「乗り物に乗ってると気分が浮き立つよね。クルーズ中に刻まれたいろいろな記憶を通して新しい曲が生まれるかな」と中西氏はほほえむ。いつかにっぽん丸に着想を得た新曲が聞ける日が来るかもしれない。コンサートが終わったその夜、漆黒の空には中西氏の曲『流れ星』を思わせる情景が広がっていた。
翌3日目の朝、船は徳島港に入港。まさに日本晴れの中、徳島県の伝統文化にふれるツアーが始まった。最初に訪れた阿波十郎兵衛屋敷では人形浄瑠璃を通してたっぷりと日本情緒が味わえる。丈夫の語り、三味線の音色、3人遣いの人形の仕草はまさに「静」の芸術だ。打って変わって阿波おどり会館でははつらつとした「動」の雰囲気を楽しめる。阿波おどりはごくシンプルな動きに見えるが、実演に合わせて踊ってみるとかなりの運動量であるとわかった。
徳島市のシンボル、眉山も外せない名所だ。ロープウェーの山頂駅からは美しい街並みや紀伊半島を一望でき、吉野川の遥か向こうには淡路島へと続く大鳴門橋も見える。その橋の袂に位置するのは大塚国際美術館だ。この夜、にっぽん丸の乗客のためだけに貸し切りで弦楽クリスマスコンサートが行われる場所である。
●にっぽん丸のためだけに開放されたアート空間
その夜、5250名まで同時に滞在できる大塚国際美術館は、にっぽん丸の乗客のためだけの空間となった。コンサート会場となるシスティーナ・ホールでは、誰もが感嘆のため息をつきながら天井画と壁画「最後の審判」に見入っている。ミケランジェロの名画を原寸大で再現した天井画と壁画は純粋に見る者を圧倒する。4名の弦楽奏者からなる「Les éléphants roses(レゼレファン・ローズ)」がステージに登場すると、ホールは水を打ったように静まり返った。バイオリン、ビオラ、チェロで奏でる『きよしこの夜』や『ホワイトクリスマス』には格別な響きがある。クラシックな音色がそのまま続くのかと思えば、観客を喜ばせる遊び心も披露。イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスにちなんで選曲した『Happy Birthday to You』を、コンチネンタルタンゴ風やハンガリーのジプシー風に弾き分けてくれる。
クライマックスはベートーベンによる『交響曲第九番』の一部演奏だ。美術館のある徳島県鳴門市は、1 9 1 8年にアジアで初めて第九番の全楽章を演奏した場所だという。演奏に耳を傾けていると、徳島県の歴史のみならずクリスマスという聖なる祝祭への敬意も自然に湧き上がってきた。コンサート後は陶板で原寸大に再現された1000余点の西洋名画を鑑賞する時間もあり、貸し切りだからゆったりと館内を回れる特別感も楽しめる夜となった。