【電撃就任!】元ぱしふぃっくびいなすの松井克哉船長、ポナン相談役に就任へ。優雅な探検船を運航するフランス船社で目指す未来は?

【電撃就任!】元ぱしふぃっくびいなすの松井克哉船長、ポナン相談役に就任へ。優雅な探検船を運航するフランス船社で目指す未来は?
CRUISE STORY
クルーズストーリー
2023.02.23
惜しまれつつ1月をもって営業終了した日本船「ぱしふぃっく びいなす」。
同船で活躍した松井克哉船長が、3月1日よりポナンの相談役に就任するという。
ぱしふぃっく びいなすのムードメーカーでありアイデアマンだった松井船長。
「話を聞いた瞬間、本社にも相談せず、すぐに『うちに来ませんか』と誘った」という
ポナンの伊知地亮日本・韓国支社長とともに、ポナンで今後どんな活動をし、
そしてどんな未来を目指しているのかを語ってもらった。
撮影=斉藤美春 文=吉田絵里

――ぱしふぃっく びいなすの松井克哉船長が、3月1日以降はポナンの相談役になられるという驚きのニュースを聞きました。まずは今後どのように関わっていくのか、お聞かせください。

 

伊知地亮ポナン日本・韓国支社長(以下敬称略) ポナンにとって日本発着クルーズというのはとても人気のあるクルーズなんですね。2023年の日本発着はかなり早い段階で予約が埋まり、先日発表した2024年の日本発着は2隻体制計11本と倍増しました。

 

今後も日本発着は注力していきたいと考えていて、それにはポナンの独自色を出した小型船ならではの航路を開拓していく必要があると思っています。その際に日本の海域、さらに日本の海事産業全体に幅広い知識がある松井さんに相談役になってもらうことで、より円滑に安全に、また地域の人たちに配慮した形で日本発着の幅を広げていけると考えています。

 

日本、特に瀬戸内海は、船がたくさん行き交っていますし、決して楽な航路ではありません。そんななか、松井さんに実際にポナンの船に乗ってもらい、ブリッジのチームを指導してもらいたいと思っています。必要に応じて、船長の声を無線で代弁してもらうことも考えています。

 

日本は漁業が盛んな国ですので、客船運航には漁業関係者との細かい調整が必要です。そうした日本の特徴をよく知っている方に指導してもらえるというのは、安全運航していく上で、大きな意味を持っています。松井さんが相談役としていることで、ポナンは日本における安全運航に最大限配慮しているというメッセージが伝わると思っています。

 

松井克哉氏(以下敬称略) ポナンが運航する船は「ぱしふぃっく びいなす」よりひとまわり小さいですが、運航する上でやるべきことは基本的に同じです。だからお手伝いできるところがあればとお受けしました。ポナンがやろうとしていることは、特に外国船では今までどこもやっていなかったことで、新しさを感じました。

 

伊知地亮ポナン日本・韓国支社長。極地では自身も探検クルーズのリーダー役「エクスペディション・リーダー」を務める。ヘリに乗って極地を視察したり、高性能ゴムボート「ゾディアック」を操船することも
3月1日よりポナンの相談役に就任する松井克哉氏。2015年よりぱしふぃっくびいなす船長を務める。ギターや歌も得意で、ぱしふぃっくびいなすのYouTubeチャンネルでは歌う姿も披露している

――そもそもお二人はどんなご縁があったのでしょうか。

 

伊知地 ぱしふぃっく びいなすが2015年に世界一周クルーズを行う中で、南極でポナンの船をチャーターしていただいたんです。

 

松井 私もポナンの船にお客さまと一緒に乗り、英語の船内放送を日本語で伝えたりなどしていました。ポナンはできるだけ自然のままで、地域の人と密接に関わったクルーズをしています。非常におもしろい船会社だなと感じていました。しかも船内はエレガントで。ゆくゆくは「うちの会社もこういう船を造って動かす日がくれば」と思っていました。

 

伊知地 私はたまたま、ポナンのその前後の南極クルーズに乗船していたんです。その後、沖縄のクルーズカンファレンスで初めて直接お会いして、「南極の時はありがとうございます」という感じであいさつして。

 

その後、ポナンで沖縄でのエクスペディションクルーズをやりたいと思っていたので、上陸地点はどこがいいか、錨泊するのにいいポイントはなど、細かいこともアドバイスいただいていました。ぱしふぃっく びいなす自体、すごくチャレンジングな会社だと思っていたので、「どうやってやったんですか」ということを聞きながら、関係を積み重ねていったという感じです。

 

松井 ゆくゆくは「ぱしふぃっく びいなす」でカムチャッカまで行き、カムチャッカからポナンでウランゲリ島に行くようなクルーズが実施できたらいいよねという話もしていました。

 

伊知地 そういえば喜界島ですごく惚れ込んでいる黒糖焼酎の造り手の方がいて。色々と話し込んでいたら、松井さん共通の知り合いだったということもありました(笑)。

 

――もともと共通項があったというか、嗅覚が似ているんでしょうね。

 

松井 「面白いところはどこだろう」と探している感じは似ていますよね。船ならではの行き先を探しているところでしょうか。

 

2023年、24年と日本発着クルーズを予定している「ル ソレアル」。ブリッジに松井氏が乗船する
沖縄クルーズではゾディアックボートで美しいビーチに直接上陸する体験がかなう

――ポナンは2019年からコロナ禍の営業で日本発着の実施が延期になりました。その間もコンタクトはあったのでしょうか。

 

伊知地 ぱしふぃっくびいなすの「瀬戸内八景クルーズ」に乗船させていただいて、ブリッジで過ごさせてもらったことがありました。僕自身、ポナンの極地クルーズではエクスペディションリーダーを務めているので、運航する側の目線で見ていました。

 

――ぱしふぃっく びいなすは年末年始のクルーズで営業が終了となりました。発表は11月で、けっこう急な印象がありましたが、やはり社内的にもそうだったんでしょうか。

 

松井 提携先を探すとか、海外に船を持っていくなど続ける道を探していたようですが、それが難しそうだという話を聞いたのが10月半ばでしょうか。社員に発表されたのは10月26日です。

 

伊知地 僕はその話を第一報で聞いたときに、すぐに「うちに来てくれませんか」と言ったんです。本社には何ひとつ相談していませんでしたが……!

 

松井 実は「客船業界からはいなくなるかもしれないし、もうあんまり相談に乗れないかもしれない」というあいさつの電話をしたんです。

 

伊知地 その電話でまさかのリクルートです(笑)。

 

――伊知地さんの中では、「もし松井船長がポナンに来たら……」みたいな構想はあったのでしょうか。

 

伊知地 いつか定年退職された後に……ぐらいはあったかもしれませんが、まさかこんなに早く話をするとは思っていませんでした。ただ弊社の理念である「感動を求めて探検する」ということに関して、松井さんの専門的な知識はまさに一致していると思っていました。本社には事後報告になるけど、絶対にOKしてくれるという自信がありましたし、実際にその後に本社と話したときも「絶対うちに来てもらいたい、逃がさないで」と。

 

松井 その話、初めて聞きました(笑)。

瀬戸内海では絶景クルーズが楽しめるが、運航するのはハードルがある海域だ

――日本クルーズ客船の親会社であるSHKグループは多数のフェリー会社を有しています。それらのグループに移るという選択肢はなかったのでしょうか。

 

松井 なかったですね。やはりコロナもあって、ずいぶんストレスが溜まっていました。他の会社も含めて船長としてのオファーはいただきましたが、2年間ぐらいはゆっくりしようと思っていたんです。

 

――やはりコロナ禍は大変でしたか。

 

松井 感染してはいけないというのもあり、いろいろなことが制限されて、やはり孤独でした。客船ですがお客さまとの交流も制限されていましたし。船内でも誰かの部屋を行き来するということもできないし、食事もお弁当を自室で食べるような生活でしたね。自分の部屋とブリッジと、時々ジムに行くぐらいで。

 

――その時を経て、ポナンに決めた、と。

 

松井 そうですね。「しばらくは好きなことだけしたい」と思ったんです。ポナンならやりたいこともできそうだという思いもあって。ポナンという会社は個人の能力に信頼を寄せて、好きにやらせてもらえるというフィールドがあると感じました。

 

伊知地 実際僕自身も自分の裁量で好きなことをやらせてもらっていると感じています。例えばこれはポナンの船長が提案したものですが、2024年に北極点を横断する航路が採用されています。ポナンにはエラーを恐れず、積極的にトライしていこうという文化があります。

 

ポナンのこれまでの日本発着クルーズに関しては、大型客船と差別化できてないのではという課題がありました。そこに関しては積極的に変えていこうと思っていますし、松井さんが相談役になってくれることで、その後ろ盾ができたることはすごく心強いですね。

 

――松井さん自身はそのリクルートのお話がきた後、悩んだりはされたんですか。

 

松井 返事を即答したわけではありません。まずは「ご縁があれば」というようなお返事をしました。自分のことよりも、ぱしふぃっく びいなすのほかの乗組員の行き先が決まるまでは、自分のことは考えられなかった感じですね。

 

――やはりぱしふぃっく びいなすの乗組員の行く先は気になりましたか。

 

松井 一緒に船で過ごしましたからね。せっかく積み上げたノウハウなどの知的財産が、会社が解散してなくなってしまうことの寂しさは感じていました。だからこそ乗組員には今後もできるだけ活躍してほしいと思っています。

 

――伊知地さんはその間、お返事を待っていた感じですか。

 

伊知地 「こちらは3月24日台湾発のクルーズにすでにひとつ部屋を取って待っていますので」と返事しました。少なくても2023年の日本発着4本に乗船してもらうことで、24年に繋げていけたらいいなと思っていました。そこで本社と調整をしてたら「もっと深く、正式に相談役という形で就任してもらって、幅広くアドバイスをもらえる体制を作りたい」と。

 

――松井さん自身はポナンに行くことを決めたいつ頃ですか。

 

松井 どうだったかな。もうナチュラルな感じでポナンかなと思っていました。船長としてのキャリアを重ねていくのはしばらくやめようというのも頭にありましたし。ぱしふぃっく びいなすのファイナルを迎えて、いったん区切りついた感じもありましたしね。乗組員の就職もほぼ皆決まって。

 

――「ぱしふぃっく びいなす」自体、すごく潔い引き際というのを感じました。「笑ってさようなら」を掲げていましたし。

 

松井 不思議としんみりした感じではなかったですね。ファイナルを迎えて本当に「これで終わったんだ」とすっきりした感じでしたね。やりきったというか。それで1月末ぐらいに電話をしまして、そこで正式に、という感じでした。

ぱしふぃっくびいなすが最後に横浜を出航した時の様子。大勢の見送り客が集まった
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