空と海の間に

クルーズ・ジャーナリスト藤原暢子氏による連載。
これまで数多くのクルーズに参加したジャーナリストがつづる、
時に泣けて時に笑えて存分に役に立つ、クルーズ・エッセイ。
〈第16回〉乗下船前夜の憂鬱と、スーツケースに詰まるたくさんの思い出
イラスト=小田切ヒサヒト

〈第16回〉乗下船前夜の憂鬱と、スーツケースに詰まるたくさんの思い出

クルーズで一番現実に引き戻されるのは下船前夜の11時頃かもしれない。深夜12時くらいまでにスーツケースを客室の外に出しておかないと、翌朝ターミナルで荷物を受け取れないからだ。

 

最終日の夜はラウンジやバーで友人やクルーズ中に会った人と語り合って過ごしたい。しかし、パッキングの前にシャワーも浴びたいし、と焦って10時頃には客室に戻る。翌日着る服、朝使う化粧品などを残して、慌ただしく荷物をスーツケースに詰め続ける。客船の仕事を30年近くしているのにパッキングがいまだに苦手だ。

 

初めて客船に乗ったのは英国船での世界一周クルーズで、振袖まで持っていった(結局、着付けが間に合わずドレスに着替えた)。

 

期待や夢をスーツケースに詰め込んだのだと思う。確かに、寄港地も興味深く、クルーも乗客も皆親切で船旅に魅了された。

 

ところがクルーズが終わり、英国の港に船が着くと、昨日まで優雅にお茶を飲んでいた乗客がすごい勢いでバスやタクシーに乗り込んでいく。振袖まで入ったスーツケース3つを前に、夫と私は唖然とした。クルーズが終わった瞬間、乗客の気持ちは“現実の移動”に戻るのだと、その時初めて知った。

 

とはいえ、私はクルーズの魅力に開眼し、旅系の執筆仕事にシフトし始めた。直後に私の師匠になってくれたのは別の船上で会ったイタリア人ジャーナリストで、「旅では一人で階段を上れる量の荷物しか持ってこないこと」と言われ、以来その言葉が頭にある。

 

その後、クルーズ取材の仕事を本格的に始めたが、荷物が劇的に減ることはなかった。いろいろな経験をし、「これがなくて困った」という思いが残っていくからだ。

 

夏でも外国客船は冷房が効いている。だからストールやカイロ、体調を崩さないためのサプリ、風邪を引いた時用の体温計や解熱剤、想定できる体調不良のための薬。

 

荷物を減らすためにサプリも化粧品も小さな容器に移し替える。この作業が面倒で毎回先延ばしにして、出発前夜は毎回徹夜となる。

 

近年はドレスコードが緩くなって、「スマートカジュアル」などがメインになってきた。それでも持っていく服が減るわけではない。寄港地で汗をかいて船に戻れば、シャワーを浴びて夕食には着替えたくなる。結局、思っていたより服が必要になる。男性も意外と大変だ。寄港地用のスニーカー、プール周り用のサンダル、夜用のかしこまった靴だけでもかさばる。

 

私は長年の経験から「寄港地でも歩きやすいが、船上ではかしこまって見える靴」など“水陸両用”ならぬ“船陸両用”のものがどんどん増えてきた。服もディナー用の服は軽い素材のワンピースを制服のように用意しているが、寄港地は行き先や季節で気温が違うので結局選ぶのに時間がかかる。

船上では"おしゃれ"を

ただ、せっかく乗船するなら、クルーズは非日常なのでおしゃれも楽しんでほしいと思っている。「このパーティーの日にはこれを着て……」と考えるのも船旅ならではの楽しみのひとつだからだ。

 

おしゃれな服を着て華やかな船内で嬉しそうに写真を撮っている姿を見ると私までうれしくなる。

 

海外クルーズでもコンパクトに着物を持ち込み、着こなす日本人のご婦人方にはもう尊敬しかない。

私はスボラなのでシャワーを浴びる時に下着もボディソープで洗い、バスタオルで水気を切ってハンガーにかけるので下着などは3セットほどしか持っていかない。そんな手抜きも多いのに、やはりクルーズ前は憂鬱になる。「次こそ早めに準備しよう」と思うのに、結局深夜まで荷物を詰めている。

 

本来クルーズは一度荷解きをしてしまえば滞在中はパッキングを忘れて過ごせる旅だ。国内発着なら少し早めに荷造りをして宅配便で送れば、手荷物だけで港に向かうこともできる。

 

何を着ようかと考えながらパッキングを楽しめる人もいれば、私のように永遠に苦手な人もいる。

 

それでも港に向かう頃には心は浮き立つ。寝不足でもクルーズで出会う景色や人々への期待感が膨らむからこそ、苦手なパッキングもなんとか終わらせられる。そして、クルーズが終わり、自宅でスーツケースを開ける頃には、荷物以上にたくさんのいい思い出を持ち帰っていることに気が付くのだ。

〈第16回〉乗下船前夜の憂鬱と、スーツケースに詰まるたくさんの思い出
ラグジュアリー客船に乗る時はおしゃれなバッグで乗りたいが、電源、パソコンなどが入る機能的なリュックには敵わず
〈第16回〉乗下船前夜の憂鬱と、スーツケースに詰まるたくさんの思い出
水筒を洗う用の取っ手付きスポンジも必需品。客船に乗れば乗るほど便利グッズや「いざという時グッズ」が増えていく
プロフィール

クルーズ・ジャーナリスト。これまで国内外140隻以上の客船・フェリーで約90カ国をめぐる。長崎市生まれ。4人姉妹の4女ながら、五島列島にある先祖のお墓参り担当。

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